阿弥陀屋敷
源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した大江広元は、その功労(特に奥州合戦)により寒河江荘を与えられるその嫡男の大江親広は承久の乱で朝廷方につき、敗れた後は寒河江荘に潜居し安中坊と改名する。嘉禄元年(1225)広元が没すると、深く父の死を悲しみ、阿弥陀堂を造り、この像の胎内に父広元の遺骨を納め、吉川の館に安置して供養した仁治年(1241)6月、吉川の館の鬼門(東北方)にこの阿弥陀堂を移築したが、その場所が阿弥陀屋敷である後に徳川幕府から阿弥陀堂領として118石9斗余りの御朱印を受けた。また墓所には、親広、その外祖父多田仁綱、及び安中坊代々の墓があり、その屋敷を参拝。